最近の大学生を見て思うこと (上) ~与えられ慣れている~

 読者のみなさん、こんにちは。プロジェクトリーダーの藤村です。
ゴールデンウィーク中ですね。昨日と今日の東京は、あいにくの雨模様ですが、連休最後の3日間は好天に恵まれそうです。学生のみなさんはこの長い休みをどう過ごしているでしょうか。
今日から3回にわたって、「最近の学生を見て思うこと」というタイトルで綴ってみたいと思います。私が大学生だった頃を思い出しながら、何が変わったのか(あるいは、変わっていないのか)思うところを述べてみます。
いまの大学生たちは、少子化の中で育ってきました。兄弟はいないか、いても一人だけ、親だけでなく祖父母も健在で、常にいろいろなものを与えられてきました。座って待っていれば、食べ物も玩具も、そして進むべき学校までも周囲が選んできてくれました。学校に行けば、先生は懇切丁寧に、わかるまで教えてくれました。与えられ慣れている、教えられ慣れているのが今時の大学生だと思います。
彼らが大学に入ってくると、まず課題を与えられないことに面食らうようです。「大学の勉強は、誰かに言われてするものではなく、自分で課題をみつけて進めていくものだ。どの講義を履修するかも、自分の興味関心にしたがって決めていい。」

自分で選んで決める経験をあまりしてこなかった新入生たちは、先輩に聞いて「単位の取りやすい講義」や「人気のある先生の講義」を選ぶことになります。そこには、何を学びたいとか、これがしたいという意志はあまり見られません。
そして、サークル活動やアルバイトに精を出すことになります。これでは、何のために大学に進学したのかわからなくなってしまいます。
私が大学生だった35年前も似たような状況がありました。当時の大学生が講義や勉強に熱心だったかというと、決して胸を張って「そうだった!」とは言えません。
「だったら、いまと同じじゃないですか」という声が聞こえてきそうですが、一つだけ大きく違っていたことがあります。それは、議論です。お互いに真剣に意見を戦わせる雰囲気がありました。大学生なのだから、議論するのが当たり前だという気持ちを多くの学生は持っていました。ゼミの時間、休憩時間、飲み会の場、あらゆる機会をとらえて議論していました。
いま振り返ってみると、「あんなことを、どうして真剣に、あそこまで議論したんだろう」と思います。でも、当時は一生懸命でした。
この経験が後に働くようになって役立ったと思います。いまの学生は、受動的に見えます。それが今回のタイトルの意味です。もっと能動的に動いてほしいというのが教員の願いです。どうすれば自ら動くようになるのかを考えて、仕掛けていくことが今の教員に求められていると思います。

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